9月10日、今日は朝からボローニャに移動します。列車の時刻に合わせて起床して昨夜の
韓国人(キム)と一緒に朝食をとる、ここの食堂は教会の礼拝堂の跡に作られているみたい
だった、トーストの上にベーコンエッグがのったやつと、オレンジジュース。 フォークとナイフ
が着いてきたが、二人で顔を見合わせると、手で掴んで食べた。

キムはこれからヴェネッツイアへ行くそうなので、途中まで
一緒に行くことにした、もう一人韓国人と駅で合流して列車
に乗り込む、1時間ちょっとでボローニャに到着した。


2人に別れを告げて、そのままイモラ行きの列車に乗る
この路線はローカルな為、乗り継ぎには心配だったが無事
間違わずに乗る事ができたみたいだ。
                                    

フィレンッエ中央駅

1時間もしないうちに、イモラに着いた、駅はこじんまりと
した作り、駅前にはこれまた小さいロータリーがあるだけ
まっすぐ歩いて行くと、しばらくして街の中心街に出る事が
出来た。


途中の小さなカフェでピザを買う、1切れ1ユーロと都会より
値段が安かった、途中の木陰のベンチに座って昼食にする
重いリュックを持ったままなので、歩くのがかなりきつい。
                                    

イモラの中心街

イモラ・・・ 普通にイタリアへ旅行に行く人ならば、気にも
止めない街だろう、だけど一昔前からモータースポーツに
親しんでいる人ならば、忘れる事のできない地名、イモラ、、


1994年、5月、1日 ここイモラのエンッオ・エ・ディノ・フェラ
ーリサーキットで、F−1レーサーのA・セナは事故死した。
そして今まさに、自分はセナが激突したタンブレロコーナー
の壁の外側に立っている・・・
                                     

タンブレロの付近の金網に・・・

反対側から見た、タンブレロ。
向こうに見えるエスケープゾーンに、車から下ろされた
A・セナが寝かされて、応急処置を施されていた。
そして、それが彼を見た最後の場面になってしまった・・・


サーキットの内側は公園になっていて、とても静かだった
芝生の上で遊んでいる親子連れや、ランニングをしている
人達を時折みかける。
                                   

カードには”Forever Senna” の文字

その公園の中にA・セナの像が建てられている。
像のセナの表情は、あまりにも物悲しい表情をしている
様に感じた。


あの日もたしか、この様に空は晴れ渡っていたと思う
1994年にイモラで起こった悪夢の2日間、TV実況のアナ
ウンサーや解説陣もカメラの前で号泣し、世界中のモー
タースポーツファンが悲しみに沈んだ・・・ 


A・セナ R・ラッツエンバーガーの冥福を
祈ります。

A・セナの像

像の横にあるベンチに腰掛けてしばらくボーッとする、
そろそろ列車の時間が迫って来たので、サーキットを後に
して駅まで、また来た道を歩いて戻った。

A・セナの像 後ろから